純粋さ

メンヘラ心に向き合う

私の長所

みなさんこんにちは!おさきまるです。

今日は純粋さについてお話ししたいと思います。

純粋とは、まじりけがないさま。

けがれ(私欲や邪念)がないこと。

一途なさまのことを言います。

実は私なんですが、ありがたいことに、

結構純粋だと周りの方々に言っていただくことが多いです。

そんな私が表面的ではない純粋さを持つ条件について、

今日はお話ししてみようと思います。

条件その1

一つ目の条件は、多少の裏表があるということです。

この多少というのがかなりポイントで、

ここでいう裏表とは陰でコソコソするようなものではありません。

そのような裏表があると、勿論純粋には見えないですよね。

ただ、全く裏表のない人間はいません。

陰と陽があるように、人間には表の心理と裏の心理があるのです。

裏の心理は自分でなかなか気づけないものだったりします。

そんな裏の心理に直面した時に、受け入れる力がある人は、

純粋さがあると感じます。

条件その2

二つ目の条件は、ある程度の素直さを持っている人です。

これもある程度というのがポイントで、

素直が服着て歩いているみたいな人は、

逆に自分の意志がない可能性が考えられます。

純粋と人任せは全然違います。

先ほど出てきた、自分の裏の心理を受け入れられる人は、

ある程度の素直さがあるからこそなのです。

条件その3

三つ目の条件は、自分のことを知ろうと行動する人です。

自分のことは自分が一番知っているって言葉がありますが、

実際はどうでしょうか?

人のことならわかるのに、

自分のことになるとわからなくなることがほとんどではないですか?

私たちは表面的な自分のことを把握しているのであり、

深いところにある、今の自分を作り上げたコアになるところは、

ほとんど見えておらず、把握できていないのです。

その把握できていないところを知ろうと行動する人は、

内なる自分の声に耳を傾けようとしている人なので、

純粋さを取り戻していきます。

純粋の基準

以上の3つが、心から純粋な人の条件でした。

突然ですが、問題です。

あなたは純粋ですか?

先述した3つの質問を自分で認められる人って、

実は結構少ないんです。

何故なら私達人間は、変化を嫌う生き物だからです。

変化をとても怖く感じるのです。

変化が怖くて、言い訳ばかり言っている。

そんな自分を認識できているのか?

認識できないことすらも、人のせいにしていませんか?

私だって同様です。

そのようにして私たちは、自分の本来の姿を隠してきたんです。

今の自分は生まれ持ってきた自分とは違うんだ。

そこを自覚しているかしていないかで、

純粋かそうでないかが決まっているように思います。

自分のことを知る手段はいくらでもあります。

この投稿を読んですぐに知ろうとする人は、

純粋さを持っているのかもしれません。

それでは今日はこの辺で。

またね~

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