前回の解説

自己紹介

皆さんこんにちは!おさきまるです。

今回は前回の質問の回答から、投稿をスタートしようと思います。

前回を読んでいない人は、前回の投稿からご覧ください。

前回の質問は、

彼氏1から彼氏4までに起きたことに共通しているわたしの感情は、一体どんなもの?

というものでした。

それでは正解を発表します。正解は……

”可哀そうな自分に浸っている”ということです。

他にも目で見てわかる共通点があって、例えば、

・彼と付き合うと自分を見失って太り、別れると痩せる

・心が病んで部屋が汚くなる

などがありました。

皆さんの正解はどうでしたか?

感情の共通点という目で見えないものなので、

なかなか難しかったのではないでしょうか?

心を読み解くコツは、目で見えないものを行動などから

なぜそのような行動をとるのか?を考えるといいですよ。

それでは正解である

”可哀そうな自分に浸っている”について解説しようと思います。

ここで注意点があります。

わたしは自分のことだから自分の心をわかるのなんてあたりまえ、

と感じる方がいると思います。

人間の精神には表層心理と深層心理の二つの種類があり、

人が行動を決定するときに深く関わってくるのは、”深層心理”です。

深層心理というものは自分で無自覚のもののことを指しますので、

自分だから自覚があるなんてことは決してありません。

ある意味自分の深層心理を分析することが一番難しいということを覚えていてほしいです。

それでは解説を始めます。

可哀そうな自分に浸っている、もちろん当時のわたしにそんな自覚なんてありません。

あったとしたらかなりのドМだと思いませんか(笑)

きっとわたしは幼いころに可哀そうな自分になることによって、

すごく都合が良いことがあったのです。

幼少期を思い返すと、思い当たる節はありませんが、

そんな時亡くなった祖母の話を思い出しました。

わたしが2歳の時、母が弟の出産だったため、

しばらくの間、父と姉とわたしの3人で祖母の家にお世話になっていました。

ある日、わたしがおなかが空いたと騒ぎ出したそうで、

祖母の家に置いてあった背の高い椅子を蹴り飛ばしました。

椅子が倒れたその先には、昔の家によくあったガラス障子。

ガラス障子が割れて、わたしは右顎を2針縫うケガをしました。

結婚のあいさつで祖母の家に行った時、祖母が

「あなたがケガをしたときに蹴ったあの椅子は、

お父さんが一人暮らしから戻った時に持って帰ったものよ。

それなのに、こんな椅子があるから悪いんだ!!

って怒って椅子を外に投げ出したのよ。」

と、私の知らない父の一面を話してくれました。

父は、仕事から家に帰ってから、基本口を開くことはありません。

私と父は、業務連絡以外の会話しかしたことがなく、

もちろんそんな父は見たことがないので話を聞いてびっくりしました。

その話を思い出したとき、ある推測が生まれました。

『わたしってもしかしたら、2針縫うケガを”おいしい”っておもったのか?』

いつも自分に関心のない父が、ケガをした時だけ取り乱して関心を示してくれた。

父の関心を引くことは、自己犠牲の上になりたっているんだ!

もっと可哀そうなわたしにならなくっちゃ!って思っちゃったんだろうなと、

これでこれまでの自分の過去の行動が説明つく、としっくりきたのです。

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おさきまるの恋愛事情を思い出してみましょう。

彼氏1の時、自分のせいでA君が無視されるようになったのが耐えられず、

自分のことを攻撃しました。

彼氏2の時は、調子が悪い自分のことを言い訳にして、

鎮痛剤や彼に依存します。

彼氏3の時は、ヒステリックに呆れられ浮気をされます。

彼氏4は結婚してから借金があったことが発覚します。

この4つの出来事のどれを聞いても他人に話したら、

大丈夫?可哀そう。心配だな。そう思ってもらえることでしょう。

実際、わたしはこれまでそう言われてきました。

この出来事たちには、自分がかわいそうになれば父にかまってもらえるかもしれない!

という幼い頃のわたしの思いがそのまま投影された姿でした。

究極の現実逃避なのです。

父にかまってもらえなくて寂しい思いを、

歴代の彼氏たちに埋めてもらおうとしていたのです。

彼らは父ではないのにそんな思いが埋まるわけないということは、

ここまで読んだあなたならきっとわかるはず。

ここまでのことをまとめます。

父にかまってもらえないことを寂しく思ったわたしは、

唯一かまってもらえた記憶である”ケガ”をすることで

父の関心を引けるのではないかと思い

ケガをしたあの時のような可哀そうな自分になることで、

父を重ねた彼氏たちの関心を引こうとした。

つまり、わたしのメンヘラは、父にかまってもらいたいという

ファザコンから生まれたのです。

このことからわかることは、わたしがメンヘラを辞めるときは、

父にかまってもらいたいという思いがなくなった時

ということになります。

今はまだ、そんな日が来ることはないんじゃないかと思っているのが

正直な感想です。

ということは、メンヘラ脱却まではまだ少しかかりそうなので

脱却するまでわたしのメンヘラ投稿を楽しみにしていてください(笑)

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