寛容な心について

メンヘラ心に向き合う

みなさんこんにちは!おさきまるです。

今日は寛容な心についてお話ししていこうと思います。

寛容とは心が広くて、人の言動をよく受け入れること

他の罪や欠点などを厳しく責めないこととされています。

わたしは寛容な心を持つことが苦手です。

自分に対しても他人に対しても寛容にできないのです。

受け入れるということが出来ないのです。

夫や母など、関係が近ければ近くなるほど

間違いを責めたりして責めたり、

理詰めにして相手に何も答えられないような環境を作ってしまいます。

寛容な心を持てる人とわたしには、

一体どのような違いがあるのでしょうか?

寛容な心の持ち主の特徴を挙げてみようと思います。

1.時間にも気持ちにも余裕がある

2.人の話を聞いてあげることが得意

3.俺が俺が、わたしがわたしがというようにならない

4.自分とは違う意見にぶつかっても受け入れることが出来る

これに対して、わたしの特徴は、

1.自分の思い通りに事が進まないとイライラする

2。どちらかというと話す方が好き

3.なんでわたしの考えをわかってくれないのとわたしが精神になりやすい

4.社会で意見が違う時は自分を抑えることが多いが、

  家ではわたしが絶対的に正しいと思っている。

こうやって比べてみると、

寛容な心の人とは、完全に逆の精神を持っていることがわかります。

どうしてこんなに違いが出てくるのでしょうか?

元々幼い頃は家ではいい子、外では好き勝手わがまま放題に過ごしていたのですが、

家でのわたしは寛容な心を持っていた風に装っていたように思います。

だけどいつしか家でも寛容風にもなれなくなってきたんです。

その理由は、寛容に生きようとすると自分を抑えるようになってくるからなのです。

母に褒められたい、父にわたしを見てほしいという強い思いから、

いい子を演じるようになったわたし。

ということは、そもそも純粋な気持ちで手伝ったり

言うことを聞いていたわけではないんです。

見てほしいから、ほめられたいからという承認欲求を満たすために、

なりたくもない寛容な自分を装っていたため、

大きくなるにつれてそんなことをいくら続けても満たされない

ということに気づいたんです。

ここまでをまとめると、

わたしの心は寛容になることを求めていないということが分かります。

そもそも自分のことを自分で認められない人間は

寛容になることは出来ないのです。

父に興味を持ってもらえなければ

自分に価値がないと思い続けていたわたしは、

興味を持ってもらうためにいろんな努力をしてきました。

勉強、バスケ、生徒会、親の手伝い、弟も面倒。

頑張ったら母に褒められ、もしかしたら父も見てくれるかもしれない

けれど、父がこちらを向いてくれることいつまで経ってもはなく

わたしはこれまでずっと自分の価値を認められずに生きてきたのです。

自分のことに寛容になれないのだから、

人に対して純粋に寛容な心を持つなんて到底不可能なのです。

そもそも父がわたしを見てくれないのなら、

わたしも人のことなんてどーでもいい!という

素直に寛容な心を持ちたくないという強い思いがあるのでしょう。

ここまで、わたしの深層心理は寛容な心を持ちたくないと言っていました

でもわたしはそろそろ人に対して、心から優しく生きていきたい

この矛盾を解消するためにわたしが出来ることは、行動することです。

では、わたしが寛容な心を手に入れるためには、

体どんな行動が必要でしょうか?

先ほども言った通り、自分を認められない人間は寛容にはなれないんです。

だとしたら、わたしは自分を認められるように行動するだけです。

父に今までずっと寂しかったということを伝えることで、

わたしのこれまでの父に対しての執着が一段落するように思います。

自分と言うもの認識するために父と話してみようと思います。

なかなか目の前に父がいると緊張して話せなくなるので、

何を話すかはある程度決めて行こうと思います。

この行動が出来てこそ、わたしは初めて自分の足で立つことが出来るのです。

これまでずっと自分の足で立っていたつもりでしたが、

まだ立ててなかったんです。

今日そのことに初めて気づき、やっと決心がつきました。

今度実家に帰ることがあるので、その時に話をしてみようと思います。

今日はこの辺で。

また明日もお楽しみに!


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