
気づき
みなさんこんにちは!おさきまるです。
今日は私が最近感じた、気づきについてお話しさせていただきます。
最近の気付きとは、自分の価値観についてです。
まずは私の考え方の歴史をお伝えしていきたいと思います。
わたしの性格
幼少期から24歳くらいまでのわたしの性格は、
正義第一主義、いい子と思われたい、ちゃんとしていると思われたい、
自己犠牲精神、周りとの調和をとりたいなどでした。
元々はこんな性格だったので、
この頃の人との付き合いは、
基本悪事を許せず、いじめられている人と一緒にいるようにしたり、
大人や年上の言うことを聞いたり、言いなりになったりしていました。
大人になってからも仕事中の雰囲気をよくすることに徹して、
いじられ役を買って出たりしていました。
この性格のおかげで、大人や年上の人に、
可愛がっていただくことが多かったのですが、
その反面、大人になっても断ることが出来ずにいました。
また、同級生にはこの正義主義をうざいと思われることも多かったです。
社会人になってから、男尊女卑の考えの方と一緒に働くようになり、
イヤな思いをすることを黙ったままいてもいい方向に行かないんだと気づいて、
言いにくいこともやっと言えるようになりました、
そのタイミングで、自分の原因不明の体調不良が改善したこともあり、
医療の問題や、食の問題、社会の問題、政治の問題、人間関係の問題などの、
すべての問題は自分自身から生まれていると気づいたことによって、
自他ともに厳しい、ちゃんとする、自己否定、否定などの性格になりました。
今までの自分を否定して、こんな自分に戻りたくない!と思うことで、
ちゃんと理にかなった行動をするようになりました。
何に気づいたのか
わたしの性格を踏まえた上で、
今回私は、一体どんなことに気づいたのでしょうか?
気づきをくれたきっかけは、鍼灸の師匠です。
本質的に生きていくのか、それとも表面的に生きていくのか。
今年はどちらに進むのかを決める年だということを師匠に教わりました。
私は自分の人生も、家族関係も、治療も全てにおいて本質的に生きたいと思っています。
だけど、感情がわたしの本質をいつも見えないように壁をつくるんです。
子どもにイラついたり、夫に牙を向けたりすることは、
なんでわかってくれないの!
という自分の感情を相手にぶつけることで起こります。
そんな話をしていると師匠があることを教えてくれました。
”これはいい、これはダメとジャッジするのではなく、中庸です”と。
中庸とは、偏りがなく中立的なことです。
何度もこのことは言われてきたのですが、
自分の性格の話をしていて、ハッとしたんです。
”これまでの自分の経験から、元の私を否定して新たな性格になったけど、
これって中庸じゃないじゃん。
結局陰と陽のどちらを選んでも、バランスが取れなくなるから意味がないんだ。”
この視点はとてもハッとする視点でした。
現代医療、政治、社会、食、人間関係などの問題は、
全て支配された部分しか見えてない。
これも、結局は自分の考えは正義で現代の考え方は悪だと、
自分の思い込みや価値観で決めつけていたんです。
だから、怒りや悲しみが沸いてきて感情に支配されるんです。
陰と陽の考え方に偏りがなく中立であるためには、
そのどちらの考えにもこだわらずに、見ているということが必要なんです。
そして、もうすでに見ている自分は誰にだって存在しているということです。
そこに気づくか気づかないかは、その人次第なんなんです。
目をそらさずに見つめている人は見ている自分に気づく可能性があります。
この投稿を見てくれているあなたには、気づくチャンスがあるんです。
自分の本質から目をそらさずに生きていきたい人は、
是非中庸を意識してみてくださいね。
それでは今日はこの辺で。
またね~
心の絶対法則 なぜ「思考」が病気をつくり出すのか? [ 内海聡 ]
価格:2,750円(税込、送料無料) (2025/8/28時点)
コメント