
信念とは
みなさんこんにちは!おさきまるです。
今日は信念についてお話ししたいと思います。
信念とは、ある事柄について揺らぐことない考えや確信を持つことを言います。
それを裏付ける証拠が有るか無いかは問われないが、
客観的証拠を欠く場合には、信念は迷信につながる傾向があるとされています。
自分は強い信念をもって行動している!という人に対して、
リスペクトの思いが強い人は多いのではないでしょうか?
一体なぜなのでしょうか。
そして果たして本当に信念を持って行動することは素晴らしいことなのでしょうか。
そんなことについて今回少し考えてみましたので、
気になる方は是非ご覧ください!
信念を尊敬する理由
信念を持つことに対して、リスペクトの思いが出てくるのは、
一体なぜだと思いますか?
例えばわたしを例にして考えてみましょう。
私には、実はある信念があります。
”自分の心に嘘つかず、真っ直ぐに生きること”
これがわたしの信念です。
心に嘘をつかず真っ直ぐ生きるとは、
そのまま心のままに生きるという意味もありますが、
自分が恥ずかしいと思うようなことは、行動に起こさないという意味もあります。
このことを夫に話すと、
真っ直ぐ自分の信念があってすごいと言われたことがあります。
夫は信念がある私のことをすごいと思ったという単純な話ではなく、
本当は自分にもあるはずなのに、自らで枠を作ることで見えなくなっている、
ブレない素直な自分をわたしの中に見つけて共鳴することが、
すごい!という言葉になったのです。
これが信念に対して尊敬が生まれる理由の一つなのです。
果たして信念は正義なのか
先ほど、信念を尊敬する理由についてお話ししました。
では次は、その信念を抱く側のことを考えてみましょう。
信念を抱くことは果たして正義なのでしょうか??
この問いに対して私の答えは、イエスです。
信念というものは、自分自身が本質的に求めていることでもあります。
信念を意識することで、自分の本質を直接意識することが出来るからです。
しかし、後述する状況の場合は、答えがノーになりますので注意です。
その状況とは・・・
自分の信念にこだわりすぎて柔軟性がなくなっているときです。
こちらも私の話を例にして考えてみましょう。
私の信念は先ほど述べた通り、
自分の心に嘘をつかずに、真っ直ぐ生きることです。
この自分の信念にこだわりすぎて、
自分で自分の首をしめてしまう時がたまにあるんです。
例えば、こんなことがあります。
自分の心に嘘をつかないたり、自分の本質を確かめるために、
私は内海式精神分析法を学ぶことにしました。
この精神分析法は、人間はいつも嘘をついていると考えます。
自分の言葉や行動、過去の記憶から裏を読んで、
深層心理、つまり本質を導き出すんです。
これを自分自身にすることで、私は自分を理解した気になってしまったんです。
ちゃんと自分のことわかってるし、わたし。っていう
ちゃんとしてますの仮面を自分で再び装着してしまうんです。
分かった気になってる。ってやつですね。
これがかなり厄介なんです。
一番初めに信念について述べましたが、
裏付ける証拠が有るか無いかは問わないが、
客観的証拠を欠く場合には、信念は迷信につながるとされていました。
まさに分かった気になるとはこのことです。
他人から見たら全然変化がないのに、
本人は理解したことで変われたと思い込んでいるんです。
これが信念にこだわりすぎた結果なのです。
こだわりは執着
こだわりとか、価値観とか、固定概念というものは、
実は自分自身の持っている執着だったりします。
執着と聞くとマイナスな感じに聞こえますが、
これも陰と陽の面があるんです。
執着の一部に信念があったりします。
自分だけのこだわりで周りに迷惑をかけることだと、
周りの人からしてみたら陰ですよね。
だけど実はその人にとって、そのこだわりは陽なんです。
この思考の転換は、枠を広げるのにとても重要な視点です。
自分にとってはマイナスだと感じることだとしても、
他の人だとプラスになることだってあるってことです。
広がりのある視点から様々な物事が見れると景色が変わってきます。
私も今それを訓練中です。
一緒に視点を変えていきましょう。
それではまたね~。
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