
承認欲求とは?
みなさんこんにちは!おさきまるです。
今日は承認欲求についてお話ししていこうと思います。
皆さんも一度は聞いたことがある言葉ですよね?
承認欲求とは他者から認められたいという強い思いのことを言います。
自分と言うものの存在を認めてもらおうと、
自己が求めていないことを期待に応えようと行動しはじめます。
自分の価値を確認する行動も承認欲求からくるものです。
誰にだってある欲求ではありますが、
幼少期の記憶によって承認欲求が強くなったりすることがあるのです。
幼少期の記憶と言えば、アダルトチルドレンも強く影響を受けていましたね。
それほどまでに、幼少期の家庭環境が重要になるのです。
承認欲求が強ければ強いほど、依存体質になり自己肯定感が低い傾向になります。
自己肯定感
自己肯定感とは、ありのままの自分を受け入れることを言います。
承認欲求と深く関わっていますが、
自己肯定感は自分を自分で認めることです。
承認欲求は自分以外の誰かに自分を認めてもらいたいと思う気持ちで、
対象が異なっています。
自己肯定感も幼少期の家族関係の記憶から形成されます。
いつものごとくわたしを例にしてみましょう。
わたしの幼少期は、
父親は全くしゃべらない人で、母は知的に遅れがある弟の世話で大変でした。
母を助けなきゃ。
弟の面倒をわたしも見なきゃ。
いい子にして母を困らせないようにしなきゃ。
でいることが当たり前だと思って、幼少期から過ごしていました。
このようにわたしは、
母の手伝いをしたり、役に立ったり、いい子でいることで、
母から、また父以外の周りの大人に褒められて育ってきました。
褒められるためにいい子で過ごしたり、弟の面倒や母の手伝いをしていた。
このように過ごすと他者から認めてもらえているような気がして、
その内承認欲求を満たすためにいい子を演じるようになったのです。
また、いい子のわたしは母からほめてもらえると感じることで、
いい子じゃないわたしは存在意義がないように感じ始めるのです。
これが自己肯定感。
その内いい子にしていないと、母の手伝いをしていないと、
父に関心をもってもらえないと、
わたしは存在している意味がないと感じるようになり、
自己肯定感がどんどん低くなっていきました。
わたしの選んだ人生
ここである疑問が沸いてきます。
姉と弟は父と関わっていたのか?
姉も同じような性格なのか?
父は家で業務連絡以外話さなかったので、
もちろん姉も弟もわたしと同じように会話してきていません。
同じ状況で育っていて姉も同じような性格??と思うかもしれませんが、
姉は我が道を貫き通す強さを持っていて、
母の手伝いや弟も面倒は進んでしていなかったし。
母の言うことにどちらかというと常に反抗していました。
そんな姉に母は強く怒っていたのもあり、
わたしは怒られないようにしよう、
姉は馬鹿だなぁと中学くらいまで思っていました。
そんなことないってことに気づいたのは、自傷行為を経験してからです。
このように同じ環境で育っていても、性格はその子によって異なるのです。
わたしがメンヘラになったのは家庭環境のせいというわけではなく、
家庭環境もメンヘラを引き起こす一つの事象であるだけで、
そもそもわたしが生まれた時に持っていた性質なのです。
それに家庭環境が加わって、わたしの場合はメンヘラになったという訳です。
ということは、メンヘラになることを望んだのは、
選んだのは私自身ということになりますね。
自分以外の誰かに褒められることに心地よさを感じて、
承認欲求がめっちゃ満たされる気がすると勘違いをし、
自分のしたいことより、他人からほめられることを優先した、
つまり他人軸で生きることにしたのは私自身なのです。
自己肯定感は高められる
”自己肯定感を高めよう”
最近よく聞くようになってきましたね。
自己肯定感は自分の深層心理と向き合うことで、
本来の自分を思い出し、受け入れることで、
高めていくことが出来ます。
ただ、よく言われている自己肯定感の上げ方は、
わたしはあまり効果がないと思っています。
自分を認めていくって、
自己肯定感の低い人はその作業すらもしんどいしできません。
わたしは自己肯定感って自分の心の闇の部分と向き合うことで、
自分をやっと受け入れられると思っています。
わたしも体調不良を経験して、こんな自分イヤだって思っていました。
そう思っている時に、そんな自分を認めるってできないんですよね。
なんでわたしばっかり。こんな思いばかりです。
体調不良を脱却した時に感じていたことがあって、
”わたしって病気になることで人に心配されてうれしいとか、
しんどい学校を休めるとかいうメリットを感じていたんだ”
という自分の見たくない心の一部に気づいたんです。
そんなこと思っているって人に思われたくないですよね。
人どころか、そんなこと自分が思っていたなんて認めたくないんです。
でも、そんな自分に気づいて恥ずかしくなって、
うわやば、最悪じゃんって思った瞬間に、
はじめて自分を認められているんです。
そこからじゃないと自己肯定感はあがりません。
また、承認欲求は他人に求めても満たすことは出来ません。
自分の存在を認められるのは、自分だけだからです。
ただ、自己認識が出来たからと言って承認欲求が満たされるわけではありません。
自己認識をする行為が、承認欲求を満たすための行為にすり替わるからです。
自分を知るというのは、自己肯定感を上げる第一歩にすぎません。
承認欲求は他者から認められたいという思いでしたよね。
ということは自分にも他人にも承認欲求は満たすことは出来ないということなんです。
わたしたちにできることは、本来の自分を知って、
そんな自分がいるんだと自覚すること。
そこからどう行動するかだけなのです。
それが出来れば、他人からどう思われているかなんてそもそも気になりません。
そんなことを今日はお話ししてみました。
なにかあなたの気づきになればうれしいです。
ではまた明日。
またね~
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